ようこそ!
このサイトにご訪問いただき、ありがとうございます。
くろぱんと申します。
肺がんステージ4を経験し現在34歳です。
・闘病中にネットビジネスで起業し、今年会社設立
・スポーツ見るのもやるのも大好き
→サッカー・野球・相撲・プロレス・格闘・ゴルフ
・読書好きだけど最近積読本多め
こんな感じですが自分でも驚くような経験をしたので、ぜひ最後まで読んでもらえると嬉しいです。
僕は8年前の25歳の時、ステージ4の肺がんであると宣告されました。
でも今もこうして元気に、がんになる前以上に健康的に生きています。
かつての僕と同じように闘病中の方にとって、
僕自身の経験が誰かの希望になると嬉しいなと思い
このブログを始めました。
がんになっても乗り越えて生きられる「証拠」として、
僕の存在がお役に立てたらうれしいです。
【闘病のはじまり】
症状のはじまりは2012年のお正月、当時25歳でした。
風邪をひいたせいか急に腰が痛みだして咳が止まらなくなったのです。
体力と健康には自信があったので、すぐ治るだろうと思って我慢していました。
しかし、回復する気配はなく悪化する一方でした。
咳をするたびにビッキーンと腰に激痛が走り、痛みを感じてまた咳が出る。
しまいには血痰も出る始末。
呼吸もままならない苦しさから抜け出したくて、病院に行こうか迷いましたが、
修士論文のプレゼンが間近に迫っていたこともあり、
なんとか論文の発表を終えるまで腰痛と咳を必死で耐え抜きました。
終えた頃はすでに症状がでて1か月後も一向に症状がよくならないので、
近くのクリニックで診察してもらいました。
特に問題もなく、お薬を服用するだけで驚くほど咳が治まったので
「こんなことなら早く行けばよかったなあ」
と悔しい思いをしました。
2月の半ば、体調も回復して学業の整理をしながら就職の準備をしていました。
まず就職先に提出するための健康診断を受けに行くと
回復したと思った肺のレントゲンに問題が発覚しました。
肺に影が見つかり、ドキッとしたものの
「肺炎かな?まさかガンってことはないよな、まだ若いし」
「薬でも飲めば卒業旅行までには治るでしょ」
とそこまで事態を重く見ていませんでした。
医師からは来週もう一回レントゲンを見て様子を見ようとの話でしたが、
卒業旅行前にすべて終わらせておきたかったので、
CTや気管支鏡検査をすぐに受けました。
2日後の2012年2月15日の検査結果は
まさかの肺がん宣告。
心の準備もないまま唐突な宣告に戸惑いを隠せませんでした。
どうしていいか分からず診察室から出ると、
診察室の前の長椅子にしばらく座り込み呆然としました。
「両親にはなんて伝えよう」
「卒業旅行いけるかな」
と自分一人ではどうしていいか分からず、
友人や研究室の先生、人事の方に相談し助けてもらいました。
楽しみにしていたアメリカへの卒業旅行も泣く泣くキャンセルし、
同級生が卒業旅行の間、
専門の病院で全身の精密検査(PET検査)をしました。
自宅でPET検査の結果をひたすら待つだけの苦しくて不安にかられ続ける地獄の1週間でした。
検査結果の当日は、父と聞きに行きました。
精密検査の結果は、
肺、脳、肝臓、背骨にまで全身に遠隔転移している
ステージ4のがんだと、突然宣告されました。
医師の「治るとは言えない」という言葉を聞いて、
頭が真っ白になったことを今でも鮮明に覚えています。
「僕はこのままどうなるのだろう」
「どうやったら完治させられるのだろう」
恐怖と不安を抱えて、僕はネットで検索しました。
僕と同じように若くしてがんになった人で、
がんを克服して元気に生き続けている人がいないか
必死で探しました。
でも、当時のネット上には、
ネガティブな内容しか見つけられず、
希望が持てる情報がほとんどありませんでした。
特に肺がんの死亡率は高く、
ステージ4の5年生存率、10年生存率は、
極めて低いと言われています。
闘病生活を前向きにブログにつづっていた患者さんも、
読み進めていくと既に亡くなっていることがわかり、
自分の暗い未来を連想してしまうことが何度もありました。
ガンはどんどん悪化して死に至る病気
という事実を突きつけられました。
入院中の同室の患者さんたちは、
年配の人が多かったせいもあり、
「もういいんだよ」
「どうせもう先は短いから」
というあきらめの言葉ばかり。
「誰か、前向きに闘病するためのポジティブな情報をくれよ!」
とずっと心の中で叫んでいました。
【僕を救ってくれた言葉】
それでも僕は、どうしてもステージ4から這い上がりたくて、
今度はネットではなく、本を読み漁りました。
昭和の時代の難病が治った人や
健康法が書かれた本を中心に、
生きて行くためのヒントを探しました。
そんな中、中村天風の「運命を拓く」という本から、
次の言葉と出会いました。
「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで病ますまい。」
闘病が始まってどん底の精神状態の時に、
この言葉が僕を救ってくれたのでした。
「身体はがんに侵されたのは事実だ、でも心だけはがんに支配させない」
僕はそう心に誓いました。
それからは、食事の仕方や睡眠のとり方、
お風呂の入り方についても研究しました。
身体の大半を占める水分を
良いものにするために山の湧き水を汲んできたり、
自宅近くの畑で植物や野菜も育て始めたり。
そういったことのすべてが、
精神衛生上とても良かったのだと思います。
しかし、抗がん剤を繰り返して、
辛い闘病が続きました。
一度消えたと思ったガンが、再び出てきたり、
紆余曲折ありましたが、新薬に恵まれて、
今はほぼ治っていると感じています。(←お医者さんはがんは確認できないと言ってもらいました。)
<闘病の経過について、くわしくはこちら>(←執筆中。)
【がんと向き合う】
全身がんと宣告された日の帰り道に、
父親の大好きなうどんを食べました。
「死」というものを初めて身近に感じた直後のお食事。
熱々のうどんと光輝くダシ汁、立ち上る湯気
すべてが美しく愛しい景色に映りました。
そのうどんがめちゃめちゃ美味しすぎて
自然と涙があふれました。
こんなに美味しいものを、
いつでも食べられる環境だったことに
今まで感じたことのないほど感謝の気持ちが溢れました。
そして、自分が健康だったからこそ、
毎日の食事を片手間にしていたことに気づきました。
闘病を始めた頃は、がんという病気を受け入れられなくて、
「なんで自分が!」と思っていました。
でも、少しずつ生活を見直していくうちに、
「がんはむしろ、これまで気づかなかったことを、
沢山気づかせてくれるプレゼントなのかもしれない」
と、前向きに捉えられるようになりました。
家族や友人の支えも、僕にはなくてはならないものでした。
大学院まで行かせてくれた両親に、
これから就職して恩返しをしようと思っていた矢先に、
闘病生活が始まってしまいました。
精神的にも経済的にも今まで以上に負担をかけている自分が
とても情けなかったです。
そんな僕に、周りのみんなは、
「今は甘えてていいんだよ」
「余計なこと考えずに治療に専念しなよ」
と言ってくれました。
【今度は僕が誰かを】
8年前の僕と同じように、
「若くしてステージ4のがんになっても元気に生きている人」
を探している人がいたら、僕を見つけほしいと思っています。
これから前向きに闘病をしようという人が最初に触れる情報は、
「大丈夫だよ!」
「ガン=死ではないよ!」
「8年生きて、もうほぼガンがない状態までなれたよ!」
という、失望を希望に変えられるような、
ポジティブな情報であってほしいと、心から願います。
このブログでは、
- 自分の心をポジティブに保つためにやったこと
- 闘病中に励まされるおすすめの書籍
- 体に良かった習慣・体験談
- 農業・運動・お風呂
- 食事・水・睡眠について
- がん患者の家族について
- 働き方・仕事について
- 免疫を整える
- 潜在意識・瞑想法・イメトレ
・・・という内容を中心に書いていきたいと思っています。
闘病中に人に会いに行くことは、
気力も体力も使うので億劫になります。
だから、家や病院でも見られるように、
ネット上で発信していきます。
でもいつか、リアルでも会えるような仲間に出会えたら、
これ以上の喜びはありません。
同世代の人たちが生きることに希望を見い出せないでいたら、
一緒に前を向いて生きて行きたいです。
たとえ体にがんがあったとしても
たとえ自分の人生に不運があったとしても
前向きに生きて、
誰かに喜んでもらいたい、世の中のために役に立ちたい
と思う同志がいたら
ぜひくろぱんと友達になってください。
僕に共感してくれる方や元気になるエピソードを持っている方等々、
人に喜んでもらうことが好きな人が集まるコミュニティー仲間を探しています。
よろしくお願いします。
くろぱん、広島で最初に会ったのは、あなたでした。とても嬉しかった。ステージ4からの生還‥なんて簡単に言えるはずがない。いろいろな思いをしてここにいるんですね。辛かったでしょう、悲しかったでしょう、悔しかったでしょう‥くろぱんには役割があるのですよ。それに気づいて行動をしているあなたは、強くて、ステキです。なので、笑顔がステキなんですね看護師をしていて、あなたみたいに強くて、かっこいい人は見たことありません!いつまでも応援しますよ!