プロフィール

ようこそ!

このサイトにご訪問いただき、ありがとうございます。

くろぱんと申します。

33歳のいま、こうして元気に生きていること自体が、8年前の僕からすれば奇跡のようです。

・闘病中にネットビジネスで起業し、今年会社設立

・スポーツは見るのもやるのも大好き

  →サッカー・野球・相撲・プロレス・格闘技・ゴルフ

・読書も好きだけど、最近は積読本が増えがちです

 

こんな感じですが自分でも驚くような経験をしたので、ぜひ最後まで読んでもらえると嬉しいです。

 

 

25歳の時、僕は突然、「ステージ4の肺がん」と告げられました。

その瞬間、世界の音がすべて消えたように感じました。

医師の口はスローモーションのように見え、何を言っているのか頭に入ってこない。
ただ「自分ががん?ステージ4って末期ってこと?治るのかな?」

そんな言葉が頭の中をぐるぐると回っていました。

「死」という現実が、目の前に立ちはだかっていました。

ちょうど修士論文の発表を終えたばかりで、
これからの未来に希望を描いていた矢先の出来事でした。

それでも今、僕はこうして生きています。
しかも、がんになる前よりもずっと健康的に、前向きに。

かつての僕と同じように病と向き合っている人に、
少しでも希望を感じてもらえたら――
そんな思いで、このブログを始めました。

 

がんになっても人生は終わりじゃない。

僕が生きているという「証拠」が、

誰かの勇気や希望のきっかけになれたら嬉しいです。

 

 

【闘病のはじまり】

 

症状のはじまりは2012年のお正月、当時25歳。

最初は、ただの風邪だと思っていました。

風邪をひいたせいか急に腰が痛みだして咳が止まらなくなったのです。

 

体力と健康には自信があったので、すぐ治るだろうと思って我慢していました。

しかし、回復する気配はなく悪化する一方でした。

 

咳をするたびにビッキーンと腰に激痛が走り、痛みを感じてまた咳が出る。

しまいには血痰も出る始末。

 

呼吸もままならない苦しさから抜け出したくて、病院に行こうか迷いましたが、

修士論文のプレゼンが間近に迫っていたこともあり、

なんとか論文の発表を終えるまで腰痛と咳を必死で耐え抜きました。

 

終えた頃はすでに症状がでて1か月後も一向に症状がよくならないので、

近くのクリニックで診察してもらいました。

 

特に問題もなく、お薬を服用するだけで驚くほど咳が治まったので

「こんなことなら早く行けばよかったなあ」

と悔しい思いをしました。

 

2月の半ば、体調も回復して学業の整理をしながら就職の準備をしていました。

 

まず就職先に提出するための健康診断を受けに行くと

回復したと思った肺のレントゲンに問題が発覚しました。

 

肺に影が見つかり、ドキッとしたものの

「肺炎かな?まさかガンってことはないよな、まだ若いし」

「薬でも飲めば卒業旅行までには治るでしょ」

とそこまで事態を重く見ていませんでした。

 

医師からは来週もう一回レントゲンを見て様子を見ようとの話でしたが、

卒業旅行前にすべて終わらせておきたかったので、

CTや気管支鏡検査をすぐに受けました。

 

2日後の2012年2月15日の検査結果は

 

まさかの肺がん宣告。

 

心の準備もないまま唐突な宣告に戸惑いを隠せませんでした。

 

どうしていいか分からず診察室から出ると、

診察室の前の長椅子にしばらく座り込み呆然としました。

 

「両親にはなんて伝えよう」

「卒業旅行いけるかな」

 

と自分一人ではどうしていいか分からず、

友人や研究室の先生、人事の方に相談し助けてもらいました。

 

楽しみにしていたアメリカへの卒業旅行も泣く泣くキャンセルし、

同級生が卒業旅行の間、

専門の病院で全身の精密検査(PET検査)をしました。

 

自宅でPET検査の結果をひたすら待つだけの苦しくて不安にかられ続ける地獄の1週間でした。

 

検査結果の当日は、父と聞きに行きました。

精密検査の結果は、

 

肺がん ステージ4 宣告 完治

 

肺、脳、肝臓、背骨にまで全身に遠隔転移している

ステージ4のがんだと、突然宣告されました。

 

 

医師の「治るとは言えない」という言葉を聞いて、

頭が真っ白になったことを今でも鮮明に覚えています。

 

「僕はこのままどうなるのだろう」

「どうやったら完治させられるのだろう」

 

恐怖と不安を抱えて、僕はネットで検索しました。

 

僕と同じように若くしてがんになった人で、

がんを克服して元気に生き続けている人がいないか

 

必死で探しました。

 

 

でも、当時のネット上には、

ネガティブな内容しか見つけられず、

希望が持てる情報がほとんどありませんでした。

 

特に肺がんの死亡率は高く、

ステージ4の5年生存率、10年生存率は、

極めて低いと言われています。

 

闘病生活を前向きにブログにつづっていた患者さんも、

読み進めていくと既に亡くなっていることがわかり、

自分の暗い未来を連想してしまうことが何度もありました。

 

ガンはどんどん悪化して死に至る病気

という事実を突きつけられました。

 

入院中の同室の患者さんたちは、

年配の人が多かったせいもあり、

 

「もういいんだよ」

「どうせもう先は短いから」

 

というあきらめの言葉ばかり。

 

「誰か、前向きに闘病するためのポジティブな情報をくれよ!」

とずっと心の中で叫んでいました。

 

僕を救ってくれた言葉

 

 

それでも僕はどうしてもステージ4から這い上がりたくて

今度はネットではなく、本の世界に希望を探しました

 

 

昭和の時代難病が治った人の体験記や

健康法に関する書籍を中心に、

「どうすれば生きられるのか」というヒントを求めて、
片っ端から読み漁りました。

 

 

そんな中で出会ったのが、

中村天風「運命を拓く」という本に書かれていた次の言葉です。

 

 

「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで病ますまい。」 

 

 

闘病が始まって、精神的にもどん底だった頃…

この一節が、僕の心を強く揺さぶりました。

 

「“心まで病ますまい”という言葉を読んだ瞬間、

体ではなく、”心”が救われたのを感じました。」

 

「身体はがんに侵されたのは事実だ。

でも、心だけはがんに支配させない」

 

僕はそう心に誓いました。

 

それからは、食事の仕方や睡眠のとり方、

お風呂の入り方に至るまで、
生きるための方法を徹底的に研究し始めたのです。

 

 

身体の大半を占める”水”をよいものにしようと

山の湧き水を汲みに行ったり、

自宅近くの畑で植物や野菜育てたりもしました

 

 

そうした一つひとつの行動が、


精神的な支えとなり、心を整えてくれたのだと思います。

 

それでも、闘病は決して楽な道ではありませんでした。

抗がん剤治療を繰り返し

辛い闘病が続きました。

 

一度良くなったと思ったガンが、また現れる。

そんなこともありましたが、諦めずに健康的な生活と治療続け、

紆余曲折を経て、新薬にも恵まれました。

そして今、医師からは「がんは確認できない」と言われています。
僕自身も、ほぼ完治したと感じています。

<闘病の経過について、くわしくはこちら>(←執筆中。)

 

 

【がんと向き合う】

 

 

全身がんと宣告された日帰り道に、

父親の大好きなうどんを食べました。

 

「死」というものを初めて身近に感じた直後のお食事。

「あと何回、ご飯を食べられるんだろう」
そんな思いが頭をよぎりました。

 

熱々のうどん。
透き通るように光り輝くダシ汁。
立ち上る湯気

 

そのすべてが、
これまで見たことないほど美しく、愛おしい景色に映りました。

 

一口食べた瞬間、
「うどんって、こんなに美味しかったんだ」と思い、
気づけば、自然と涙がこぼれていました。

 

いつでも当たり前のように食べていたものが、
どれほどありがたい環境だったのか。

こんなに美味しいものを、食べれる環境だったことに

今まで感じたことのないほど感謝の気持ちがあふれました。

 

 

そして、気づいたのです。

自分が健康だったからこそ、

毎日の食事を片手間に”ながら作業で”済ませ、

その一つひとつのありがたさに目を向けていなかったことに。

 

闘病を始めた頃は、がんという現実を受け入れられなくて、

「なんで自分が……」と、何度も心の中でつぶやいていました。

 

 

でも、少しずつ生活を見直していくうちに、

心のなかに少しずつ変化が生まれました。

 

「がんはむしろ、これまで気づかなかったことを、

たくさん気づかせてくれる”プレゼント”なのかもしれない」

 

そう思えるようになったのです。

 

家族や友人の支えも、

僕にとって何よりの力になりました。

 

大学院まで行かせてくれた両親に、

「これから就職して恩返しをしよう。」

そう思っていた矢先に始まった闘病生活。

 

精神的にも経済的にも、


これまで以上に負担をかけている自分が

とても情けなく感じました。

 

 

そんな僕に、周りのみんなは優しく声をかけてくれました。

 

「今は甘えてていいんだよ」

「余計なこと考えずに治療に専念しなよ」

 

その言葉が、どれほど救いになったか、
今でも忘れられません。

 

 

今度は僕が誰かを】

 

 

8年前の僕と同じように、

「若くしてステージ4のがんを宣告されたけれど、それでも元気に生きている人」を探している人がいたら…

そのときは、ぜひ僕を見つけてほしいと思っています。

 

 

これから前向きに闘病をしようという人が最初に出会う情報が

 

 

「大丈夫だよ!」

「ガン=死じゃないよ!」

「8年経って、今ではがんが消えて元気に生きてるよ!

 

そんな希望の言葉であってほしい。

失望ではなく、希望に変わるようなポジティブな情報であってほしいと、

心から願っています。

 

 

このブログでは、

  • 心をポジティブに保つために実践したこと
  • 闘病中に励まされた本の紹介
  • 体に良かった習慣・体験談
  • 農業・運動・お風呂
  • 食事・水・睡眠の工夫
  • がん患者の家族の支え方
  • 働き方・仕事との向き合い方
  • 免疫を整える生活
  • 潜在意識・瞑想法・イメトレ

 

 

・・・など、僕自身が実際に経験し、

心と体が前向きになったことを中心に発信していきます。

 

闘病中は、人に会いに行くことさえ大きなエネルギーを使います。

だからこそ、家や病院にいても気軽に読めるように、
このブログを通して、ネット上で発信していこうと思いました。

 

 

そして、いつかリアルでもお会いできるような仲間に出会えたら…


それは僕にとって、何よりの喜びです。

 

 

もし同世代の人たちが、「生きることに希望を見い出せない」と感じているなら、

僕は一緒に前を向いて歩んでいきたい。

 

 

 

たとえ体にがんがあったとしても

 

たとえ自分の人生に不運があったとしても

 

前向きに生きて、

誰かに喜んでもらいたい、

世の中のために役に立ちたい

そんな想いを持つ同志がいたら、

 


ぜひ、くろぱんと友達になってください。

 

 

僕に共感してくれる方、

人に喜んでもらうことが好きな人たちが、
この場所に集まり、つながり、支え合う。

そんな温かいコミュニティを、
一緒に育てていけたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

1 個のコメント

  • くろぱん、広島で最初に会ったのは、あなたでした。とても嬉しかった。ステージ4からの生還‥なんて簡単に言えるはずがない。いろいろな思いをしてここにいるんですね。辛かったでしょう、悲しかったでしょう、悔しかったでしょう‥くろぱんには役割があるのですよ。それに気づいて行動をしているあなたは、強くて、ステキです。なので、笑顔がステキなんですね看護師をしていて、あなたみたいに強くて、かっこいい人は見たことありません!いつまでも応援しますよ!

  • 國分明美 (あーちゃん) へ返信する コメントをキャンセル

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です